( 脈診中のユラ先生 )

日本の皆様へ

 私は、以前からチベット医学の知識を世界中の人々と共有することを夢見ていました。結婚してアメリカで暮らし始めたときには、「医療システムがこんなに発達しているこの国で、わたしにできることなどあるだろうか?」と思っていました。しかし、時間がたつにつれ、わたしの周りにいる人々が大きなストレスと心に由来する様々な健康問題を抱えていることに気が付きました。


 チベット医学には、健康維持と病気の双方に関わるエネルギーを調整するためのホリスティックなアプローチが伝わっています。心と体のバランスの回復に取り組むことに焦点を当てているチベット医学は、近代的な医療システムに欠けている部分を埋めることができると思います。


 私は、瞑想とチベット医学を統合することに強い関心を持っています。チベット医学では治療法の一環として瞑想を用います。私は、アメリカ人向けに心と体の健康のための瞑想プログラムを開発し、指導しています。一方で、瞑想体験をより深めるために、薬草を主原料としたチベット薬、薬草風呂、伝統的な癒しのテクニックなどを通して体のエネルギーのバランスを回復させるための治療も施しています。


 日本人は最先端の科学技術を研究・開発していながら、伝統的な仏教の思想と瞑想法を伝承しています。日本に滞在中、私は自分の経験や考えを日本の皆様と共有し、また皆様からも癒しと瞑想についての考えを伺って、共に新しい見解を発展させることができると期待しています。

ユラ・ツェリン

ユラ・ツェリン先生の半生


故郷の村での生活

わたしは、1983年 中国青海省貴南県サムドゥ地域で生まれました。

青海省の省都西寧から車での約3時間の距離にある辺境地です。当時の村の人口は、300人くらいでした。村の小学校は3年生までで、それ以上の学年は他の村へ行かなければなりませんでした。父は農業と牧畜業を営んでいました。チベットでは、はげ山が多く、谷間も狭いので、チベット人の多くは農業と牧畜の両方を生業としています。家では羊80頭, ラバ1頭, 牛4頭, 豚2匹を飼育していました。

西洋医学の病院は、わたしの村から10km離れた場所にありました。

故郷の村には、僧侶のチベット医学の医者がいました。父は村人とともにそのチベット医学の医者のためによく、薬草を取りに行っていました。

ある日、父は採ってきた薬草の実を、家の中庭に並べて日にかざし乾燥させていました。当時、私はまだ幼かったので、あやまって毒を含んだ実をたくさん食べてしまいました。それを見た父がパニック状態になったことをはっきり覚えています。

父は、よく医者の家に行って薬草を粉末にするのを手伝っていました。 医者の家はいつも患者で一杯でした。わたしはそこでおやつを食べていたことを思い出します。おやつとは薬草の甘草のことです。

わたしは、大好きな甘草を、年をとるまで薬草だとは思っていませんでした。甘草は、大麦畑の脇や家の周りの土手に生えていました。甘草の葉を見つけたら、地面から根っこを引っ張ります。新鮮で歯ごたえがある甘い甘草は、子供時代の思い出の味です。

甘草を薬にするときには、生で食べるか、根を乾燥させて水と混ぜて食べます。チベット医学の医者は甘草が副成分の「ライシン-7」という薬を咳薬として患者に処方します。子供の頃の甘いおやつだった甘草の薬効成分が、肺に作用するということを学んだのはだいぶ後になってからでした。


チベット医学を学び始める

わたしの叔父はチベット医学の医者です。叔父は1967年生れで、青海省の医学校とラサの医学校で学び、現在、青海大学チベット医学院の学院長をしています。

叔父はめったに村に帰ってきませんでしたので、私は叔父のことをよく覚えていませんでした。私は小学校を卒業したあと、父と一緒に畑仕事をしなければならなかったので、正式な学校教育は14歳までしか受けていませんでした。しかし、叔父は、「もしお前がチベット医学のテキストの19章分を暗記することができるなら、町へ連れて行ってやる」と言いました。そこで、私は畑で働きながら暗記しました、ついに19章分を暗唱することができました。叔父はそのとき驚きました。

叔父は約束を守って、2000年、私が17歳のときに西寧に連れて行きクンブム僧院付属のチベット医学病院で勉強できるように取り計らってくれました。

私は僧院に滞在していたとき出家して僧侶になったわけではありません。僧院の医者たちの多くが叔父の学生でした。私がチベット医学のテキストを暗記していた当時、二人の僧侶の医師が私の家庭教師になってくれました。寺院では、薬局で働いてもいました。

僧院付属の病院の中には、貝殻、ヘビ、原料の薬草を収納していた薬局がありました。アメリカの薬局では、処方薬は棚の上に整理され、前もって計量され包装されていますが、私たちの2階建ての薬局の建物は薬の原料でいっぱいでした。わたしたちはいくつかの所定の薬草を選び、それらを量り、粉砕しそして加工して一つの薬を作りました。 たとえば、何時間もかけて種子から有効成分を抽出しました。

ヘビが怖かったけど、薬局は好きでした。薬草はチベット、インド、そして中国各地から運ばれて来ました。私がテキストを読んで記憶していた薬草の名前を実際の植物に対応させることで、学習はより具体的になりました。子供のころの好物の甘草を薬局で見つけ、甘草を医学に応用することができると知ったときはうれしかったです。

僧院付属の病院で予備の学習を終えて、2003年に叔父が教授をしていた青海大学チベット医学院で入試を受けて合格し、正式な医学教育を受ける準備ができました。 チベット医学院では、薬草学、発生学などのチベット医学の授業は楽しかったです。

同級生たちと違って、私は小学校以上の正規な学校教育を受けていなかったので、中国語で教える学科の授業についていくのは大変でした。内気な青年であった私は、質問することが恥ずかしくて、第二言語である中国語で教わることは難しかったです。


大学を卒業してからネパールへ

厳しい学業を乗り越えて、4年後の2003年に医学院を卒業しました。卒業後間もなくしてネパールに旅行に行きました。首都カトマンドゥで同居の年配のチベット医師と出会いました。かれの指導の元でカトマンズの診療所で働く機会を得ました。

ネパールの印象は発展途上であると思いました。ネパール人の文化、性格、自由であることを楽しみました。かれらの陽気さと正直さが好きでした。学生時代、多少英語を学びましたが、ネパールにいる間、英語を熱心に学び始めました。

2007年、私は最終的な医師免許試験を受けるためにチベットに戻りました。インターンとして青海省の西寧チベット病院外来治療科で5か月間の研修プログラムを修了しました。そこではお灸、血を吸い出す療法、マッサージ、金針治療、薬草風呂などの実施訓練を受けました。

2007年、チベット自治区ラサ市チベット医学病院の整形外科で研修医として勤務しました。そこでは、基本的なレントゲン写真の見方と、折れた骨を固定する方法を学びました。 また痛みを和らげる塗り薬を作ったり、特殊なチベット製の骨の治療薬の処方も学びました。

私はメンターがそこに滞在してウェルネスクリニックを開くのを手伝うことを考えました 。しかし私はネパールの機会に引き戻されたので、私は戻ってカトマンズのクリニックにもう7ヶ月間勤務しました。

ネパール全土の山岳地域には、多くのチベット系民族がいます。そのうちシェルパ族が有名ですね。それらの地域には、多くの無医村があり、チベット医学の医療サービスを必要としています。 ネパールで指導してくれた医師が私に、医師を必要としているチベット民族の住むコミュニティに紹介してくれました。 最初、観光地のポカラの僧院で医療活動をしながら1ヶ月間滞在しました。それからヒマラヤのビグ地域へ旅行しました。ビグ地域はエベレスト山と首都カトマンドゥの中間にあります。そのときのガイドが山道を通って尼寺に連れて行ってくれました。ガイドはもうすぐ着くと言っていましたが、実際には 2日後に尼寺に着きました。 私はその尼寺に2ヶ月間、滞在する計画を立てましたが、2ヶ月が過ぎた後、もっと滞在してくれと頼まれました、2ヶ月予定は9ヶ月の滞在に変わりました。

ビグの尼寺には54人の尼さんがいました。ビグにいる間、尼さんや地域住民の患者さんたちを診察すると同時に、温室を建設したり、ビグ地域に滞在していたアメリカ人のボランティアたちとの交流プログラムなどのプロジェクトも始めました。特にボランティアたちから英語を学ぶことは楽しかったです。アメリカ人のボランティアたちの中に、将来私の妻になる女性がいました。彼女の名前はサラです。当時、彼女は医学生で、ちょうど神経科学の研究を終えたところでした。我々は薬草、神経シナプス、仏教、アメリカの文化などについて話し合い楽しい時間を過ごしました。

私はもっと勉強がしたくなり、ビグ地方からカトマンドゥに戻ってきました。そこで先輩の指導医師から薬草と仏教心理学を学びました。SkypeとEメールを使ってビグ地方にいたサラとは頻繁に連絡を取っていました。サラがカトマンドゥに来て再開し、いっしょに1週間トレッキングをしました

チベットに帰国して、故郷でサラと私はサラの母親の立ち合いのもとで結納の儀を交わしました。


アメリカでの生活

「チベット医学の父」であるユトクは私の理想の人格の一人です。 ユトクは医学的知識を求めてインドへ3回、中国へ2回行き、旅の途中で多くの困難な冒険をしました。 私は自分がまるで彼の足跡を辿ってるようだと考えるのが好きです。

2011年の夏、私はアメリカのノースカロライナ州のUNCチャペルヒルに行きました。私の妻が入学した医学部があった場所です。

アメリカに着いてから、英語が壁でしたので、私は英語の授業に参加しました。この期間、私は自分のアパートで何人かの患者を診察したり、地元の仏教センターで講義を始めました。

私はGED(アメリカの高校卒業資格)を取得するために正式な米国の教育を続けました。そして、

マッサージ・センターとナチュラルヘルスを通じてマッサージ療法の免許を取得しました。

その後、ノースカロライナ州の山岳地帯にある町にユトク健康センターを開設し、町の市民講座でチベット医学の紹介を始めました。

ノースカロライナ州で4年間過ごした後、妻と私はミネソタ州に引っ越しました。サラはそこで小児科での研修を受けました。私は読み書きの授業に出席しながら、マッサージセラピストとして働き、ユトク健康センターを再開し、そしてチベット医学と瞑想を教えました。

私の夢は健康と幸福を研究するユトク研究所を開くことです。チベット医療サービスを提供することに加えて、主な活動の焦点は瞑想とチベット医学の統合に関する合宿と指導コースの実施です。

慢性ストレスは神経生理学的なアンバランスによって生じた慢性的な状態です。

神経生理学的なアンバランスは、全身に多大な悪影響を及ぼします。チベット医学でも、この症状についてさまざまな専門用語で説明していますが、はっきりと同じような理解をしています。

以上のように、私は、慢性的なストレスについて理解を深め、既存のストレス療法や医学的なストレス・マネジメントを熱心に学んでいます。さらにチベット医学と仏教心理学に基づいた治療法とテクニックを引き出して予防法と慢性ストレスに対する現代社会に生きる人向けの新しい代替療法を作ることも情熱を傾けています。

シネ(シャマタ)(止)瞑想とチベット医学のルンに対する治療法を組み合わせると、慢性的なストレスに対して治療上の大きな効果があると思います。

本当に、統合医療部門は最近米国で普及しています。そこでの治療法や技術は、主に鍼治療、マッサージ、マインドフルネス瞑想などの東洋の伝統的な治療法から採用されています。

ここで、チベットの病院とアメリカの病院の治療実践の大きな違いについて説明します。チベットでは科学的研究や臨床的証拠よりもむしろ先祖の教えに重点を置いています。アメリカでは容易に理論的な意味よりもむしろ実用的な価値で行きます。

アメリカにおいてチベット医学は、まだ非常に新しいものです。私の知る限り、アメリカにはおよそ10人のチベット人医師がいますが、それ以上いると思います。ほかにも少なくても5人のチベット人の西洋医学の医者がいます。

チベット仏教への理解が深まっていきたことによって、一般の人々の関心が高くなってきました。 例えば、エモリー大学、スタンフォード大学、バージニア大学、およびミネソタ大学を含むいくつかの学術機関は、チベット医学の学術的研究に焦点を当てています。

私はニューヨークで開催されたチベット医学の学術会議に出席したことがあります。その席で、中国大使は、これまで中国医学とアーユルヴェーダが広まってきたように、現在、チベット医学が広まっていること、チベット医学は、現在国際的な場面で「苗の状態」にあり、そしてそれが成長して花を咲かせる時期が来ていると説明しました。

わたしもその指摘は本当だと思います。 アメリカ中で、統合医療への関心が高まっています。 例えば、私の妻が訓練を受けている保守的で証拠に基づいた医療を行っているメイヨークリニックにおいてさえ 、統合医学部があります。

私がアメリカに来て、サラの家族(父は消化器専門の内科医)の中に入った当初、アメリカのような唯物論的に進歩した社会の中でチベット医学に何か役に立つことがあると考えるのは難しかったです。 しかし、私が行った最初の講演の後で示された受講者の興味や診察し始めたころ出会った患者たちの反応から、私は考え直しました。 チベット医学にはアメリカで果たすことができる重要な役割があることを。

私が見た患者は全員、生活習慣に関連したストレスによって症状が悪化したり、あるいはストレスによって引き起こされた慢性疾患に悩まされていました。 肩や首の痛み、不眠症、頭痛、うつ病、不安、便秘、さらには多発性硬化症も、私が最初に診た症状の一部でした。 私の患者はみな、西洋の医療制度によって部分的にしか扱われていなかったため苦しんでいました。

チベット医学はエネルギーの不均衡、そしてそ病気に影響する要因に焦点を合わせます。私は患者に提供する価値ある展望を持っていたことを自覚しました。そして、ストレスとそれに関連するエネルギーの不均衡に関連している要因を調節することに焦点を当てて肯定的な結果が得られるようになりました。


瞑想について質疑応答

どうして瞑想に関心を持ったのですか?

私の瞑想に対する関心は主に仏教の教えとシャマタ(止) 瞑想の実践に基づいています。シャマタ(止)を実践することで精神的なバランスと健康を改善できると信じています。

アメリカ人に瞑想を教え始めたきっかけは?

アメリカでの診察・治療体験を通して瞑想を教え始めました。診療所で診察していたとき、多くの患者がある程度の心理的ストレスを抱えていることに気付きました。チベット医学では、医療は身体的健康のために、瞑想は精神的健康のためにあると解説しています。ですから患者にシャマタ(止)瞑想を教えることは、精神的健康を改善するための理想的な方法なのです。

チベット式の儀式についての考え

仏教の儀式を行ったり、薬師如来のマントラを唱えることは、チベットの仏教社会の一員にとっては効果があると思います。私自身、毎朝、薬師如来のマントラを唱えています。しかし、ここアメリカでは、人々のニーズと信念の背景は違うので、シャマタ(止)瞑想を教えるときには、特別な信仰は必要ありません。

ユラ先生のチベット医学治療院のHP

(処方するチベット薬)